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書きながら考える・考えをまとめる場所

介護と老人ホームの話

「老人ホームは姨捨山」と表現した記事を読んだ

「老人ホームは現代の姨捨山」という趣旨の記事を読みました(URLは伏せます)。 明らかに言いすぎな言葉ではあるけど、ある側面から見ると正直な気持ちがそこに表現されていると思いました。

上記の記事は老齢の母親が認知症となり老人ホームに入ったという方の話でした。

様子を見に行った筆者が帰ろうとして母親が手を触ったところ、 母親は強く手を握り返したそうです。しかし認知症の母親から言葉は上手くでてきません。 ただ、握り返したその手の強さに「母は家に帰りたいのだな」と思ったそうです。

けれども母を連れて一緒に帰り、介護をする事はとても出来ない。 帰りたがっている母親を連れて帰らない自分を責めて「老人ホームは現代の姨捨山」と表現したのです。 (実際に帰りたがっているかどうかは誰にも分かりません)

知人曰く「老人ホームをどう思うかというのは認識の話ではないか」

ある人にその話をするとこんな返答が返ってきました。

例えば保育園も昔は「可哀想な子が行くところ」という認識が一般的だったと思うんだよね。 自分が行っていた頃には確実にそういう雰囲気を感じたもん。

でも今はむしろ保育園に行くことこそが普通、というのが一般的だよね。 老人ホームも似たような話ではないかな。

今は過度期で様々な意見やショックを受ける人がいるけど、そのうち老人ホームが姨捨山だ、なんて言葉がでてくる事は無くなるんじゃないかな。

ようするに、それを「姨捨山」と思うのも、「新しいあり方」だと思うのも、 全ては認識の問題で「姨捨山」なんて悲観的すぎる見方は今の過度期だけの話だということ。 だからかわいそうなんて事は無い、という事でしょうか。

納得できる部分が有ります。

他人事ではない

さて10年前なら難しい話だねえなんて思いながら忘れてしまう話でしたが、そろそろこれは他人事ではありません。

私の親ももう60代後半を迎えています。 もっと言えば自分自身の老後の話としても気になります。

上記のような記事の考えに触れると、幸せな老後や介護について考えを巡らせてしまいます。

しかし答えはない

老人ホームにいることが絶対的に不幸せとも幸せとも思えません。 家族に迷惑をかけている、と自己嫌悪しながら家にいることの辛さだってあるはずです。

親のために自己や家族を犠牲にして家で介護することが正しいのか。 介護が必要になった人は老人ホームへいくことが正しいのか。

みんな試行錯誤の中決めているのだと思います。

結局子育てと同じで正解はないのでしょうね。 私自身も当人や周りの様子を見ながら、同じように試行錯誤しながら決めていかなくてはいけないのだと思います。